今日は「DREAMS COME TRUE」、通称ドリカムについて、ちょっと意外な角度から迫ってみたいと思います。
「ドリカムって、解散しそうになったことあるらしいよ」
「中村正人と吉田美和って、実は仲悪いんじゃない?」
こんな噂、聞いたことありませんか?
実は、ドリカムの35年以上にわたる活動の裏には、数々の解散の危機があったんです。
今回は、そんなドリカムの知られざる一面に迫ってみましょう。
ドリカムは解散危機?理由は?
まず、ドリカムが解散の危機に瀕した理由について、詳しく見ていきましょう。
実は、彼らの歴史には複数の危機がありました。
ドリカム解散危機の理由1. 中村正人の海外進出による業界からの圧力
1998年、ドリカムは大きな決断をします。
それは、アメリカ進出を目指してレコード会社をヴァージンに移籍するという決断でした。
しかし、この決断が思わぬ波紋を呼びます。
当時の日本の音楽業界では、海外のレコード会社と契約することは「業界の掟を破る」行為とみなされていたんです。
その結果、ドリカムは日本のメディアから締め出されることになってしまいました。
中村正人さん自身が、当時をこう振り返っています。
「どこのラジオ局に行っても『中村がいる限りドリカムはうちの局ではかけない』って言われる。ドリカムは完全に死んだよ」
この時期、ドリカムは文字通り「干された」状態に陥り、解散の危機に直面したのです。
ドリカム解散危機の理由2. アメリカ進出による日本でのファン離れ
海外進出に伴い、ドリカムは日本での活動を一時的に減らします。
これが、日本のファンの離反を招いてしまったんです。
中村さんは、この時のことをこう語っています。
「日本で仕事させていただいて、ぽっとアメリカ行って、2年も3年も帰ってこなかったら、ファンの皆さんもそうなります。当然でしょう。捨てられた感が凄くありましたね」
ファンの減少は、当然ながらCDの売り上げにも影響します。
人気と売り上げの低迷は、グループの存続にも関わる大きな問題でした。
ドリカム解散危機の理由3. 吉田美和と中村正人の不仲説
ドリカムの解散危機は、外部要因だけではありませんでした。
実は、メンバー内部にも大きな問題があったんです。
中村さんは、あるインタビューでこんな衝撃的な発言をしています。
「ドリカムは365日解散危機にある」
これは単なる比喩ではなく、実際に何度も解散の危機があったことを示唆しています。
その主な原因は、中村さんと吉田美和さんの不仲だったと言われているんです。
ドリカム中村正人と吉田美和は不仲?
では、なぜ中村さんと吉田さんは不仲だと言われているのでしょうか?
二人の関係性について、もう少し詳しく見ていきましょう。
不仲と言われる理由1. 中村正人と吉田美和の音楽性の違い
中村さんと吉田さんは、音楽に対する姿勢が大きく異なっていました。
吉田さんは、完璧主義者として知られています。
レコーディングに非常に時間をかけ、納得がいくまで何度も録り直すことで有名です。
一方、中村さんは、ビジネス的な視点も重視します。
スケジュールや予算も考慮しながら、効率的に制作を進めたいと考えていたようです。
この姿勢の違いが、しばしば衝突を生んでいたと言われています。
中村さんは、吉田さんのことを「ストイックすぎる」と評しています。
不仲と言われる理由2. 中村正人と吉田美和のプロモーションへの姿勢の違い
中村さんは、プロモーション活動に非常に積極的でした。
しかし、吉田さんはそれほど熱心ではなかったようです。
中村さんは、こんな不満を漏らしています。
「僕が歩いて歩いて歩いて(プロモーション活動をすると)……そこにポンと(吉田)が乗ってくるんです」
つまり、中村さんが苦労して営業活動をしても、吉田さんはその恩恵を受けるだけで、自ら積極的に動こうとしないということですね。
これは、中村さんにとって大きな不満の種だったようです。
不仲と言われる理由3. 中村正人と吉田美和がコミュニケーション不足
二人の間には、深刻なコミュニケーション不足があったようです。
中村さんは、こんな発言をしています。
「吉田が怒って連絡ひとつくれないことがあった」
音楽制作やプロモーション活動での意見の食い違いが、コミュニケーション不足に繋がっていたのかもしれません。
不仲と言われる理由4. 中村正人の複雑な感情
しかし、ここで注目すべきなのは、中村さんの吉田さんに対する複雑な感情です。
中村さんは、吉田さんのことを「難しい人」「極悪の極み」「人間的に許せない」と厳しい言葉で表現する一方で、その才能を「天才」「商売的には最高」と高く評価しているんです。
さらに、「吉田はひとりになってもドリカム」という発言からは、吉田さんがドリカムにとって不可欠な存在であることを強く認識していることがわかります。
つまり、中村さんは吉田さんに対して、尊敬と不満、信頼と苛立ちといった、相反する感情を同時に抱いているんです。
これが、彼らの関係をより複雑にしている要因かもしれません。
ドリカムは解散せずに35年以上活動を続けられたのか?
ここまで、ドリカムの解散危機や中村さんと吉田さんの不仲説について見てきました。
では、なぜ彼らは解散せずに、35年以上もの長きにわたって活動を続けることができたのでしょうか?
ドリカムが解散しない理由1. 音楽への情熱
中村さんと吉田さんの間には、確かに意見の対立がありました。
しかし、二人とも音楽に対する真摯な姿勢を持ち続けていました。
中村さんの海外志向や、吉田さんのストイックな制作姿勢。
一見対立しているように見えるこれらの態度も、音楽に真剣に向き合っているからこその行動だと言えるでしょう。
ドリカムが解散しない理由2. 互いの才能への尊敬
中村さんは、吉田さんの音楽的才能を「天才」と評価しています。
一方、吉田さんも、中村さんのプロデュース能力や音楽性を高く評価していると言われています。
互いの才能への尊敬が、対立を乗り越える力になっていたのかもしれません。
ドリカムが解散しない理由3. 困難を乗り越える強い意志
ドリカムは、幾度となく困難に直面してきました。
しかし、その度に彼らは諦めることなく、前を向いて進んできました。
例えば、アメリカ進出によって日本のファンが離れ、「業界から捨てられた」と感じた時期。
彼らは諦めずに、業界関係者に謝罪し、自社レーベルを立ち上げ、地道に活動を続けました。
その結果、再びファンを獲得することに成功したのです。
ドリカムが解散しない理由4. ビジネスパートナーとしての信頼関係
中村さんと吉田さんは、度重なる衝突や意見の不一致を経験しながらも、35年以上も共に活動を続けてきました。
これは、二人の間に強い信頼関係が存在することを示唆しています。
吉田さんは、中村さんが業界から批判された時期に、こんな言葉をかけています。
「事務所が守ってくれなくてマサさんが悪者になるなら、もう私たちでやろう」
この言葉からも、二人の間にある固い絆が感じられますね。
ドリカム解散危機の理由!?中村正人と吉田美和は本当に不仲?まとめ
さて、ここまでドリカムの解散危機や中村さんと吉田さんの関係性について、深掘りしてきました。
最後に、重要なポイントをおさらいしましょう。
- 解散危機の主な理由
- 中村正人の海外進出による業界からの圧力
- アメリカ進出による日本でのファン離れ
- 吉田美和と中村正人の不仲説
- 中村正人と吉田美和の関係
- 音楽性やプロモーションへの姿勢の違い
- コミュニケーション不足
- 才能への尊敬と個性の衝突
- 35年以上活動を続けられた理由
- 音楽への情熱
- 互いの才能への尊敬
- 困難を乗り越える強い意志
- ビジネスパートナーとしての信頼関係
ドリカムの35年の歴史は、決して平坦なものではありませんでした。
解散の危機、メンバー間の対立、業界からの圧力など、数々の困難に直面してきました。
しかし、彼らはその度に困難を乗り越え、日本の音楽シーンに革命を起こし続けてきました。
それは、二人の音楽への情熱と、互いを尊重し合う姿勢があったからこそ可能だったのではないでしょうか。
中村さんと吉田さんの関係は、決して単純なものではありません。
時に対立し、時に互いを高め合う。
そんな複雑な関係性が、ドリカムの音楽をより深みのあるものにしているのかもしれません。
最後に、読者の皆さんに質問です。
「あなたにとって、ドリカムの魅力とは何ですか?また、長年活動を続けるアーティストに、どんな思いを抱きますか?」
音楽の世界は本当に奥が深いですね。
これからも、ドリカムの活動から目が離せません。
彼らが今後どんな音楽を届けてくれるのか、楽しみですね。