狼を被った5人組バンドといえば「顔を明かさない覆面バンドと言えば?」で代表格として名前に挙がるのが狼バンドこと「MAN WITH A MISSION マンウィズアミッション」。
そんな唯一無二のバンドが「なぜ狼の被り物をしているのか」「顔隠す理由は何か」は気になるポイントでしょう。
「オオカミの被り物の中身はどんな人なんだろう?」とメンバーの顔を隠す理由が気になっている人も多いはず。
マンウィズは、登場から一貫して素顔を公開していません。
というより、オオカミの頭自体が素顔だという設定です。その設定は別といて、なぜオオカミの被り物で顔を隠しているのでしょうか?
私はすごく顔を隠す理由が気になります。
なので、この記事では「マンウィズが顔出しをしない理由」や「顔を隠す理由」を3つお伝えします。
MAN WITH A MISSIONが顔を隠す理由
そもそも、マンウィズのバンドメンバーの、狼の被り物をして顔を隠す理由について、具体的なコメントや公式な説明は存在していません。
では、顔隠す理由はなんでしょうか?
実は、MAN WITH A MISSIONは前身バンドである「Grantz(グランズ)」時代に顔出しで活動していて、既にメンバー全員が顔バレしているみたいです。
が、マンウィズメンバーたちは音楽を第一に考え、個人の人物像より楽曲やパフォーマンスを前面に出したいという意向を持っていますよね。
狼のマスクをかぶることでファンに自由な解釈を委ね、音楽以外の部分での先入観を避けられるとの考えもあるのかなと思います。
マスクの下の素顔に興味を持つファンも多いですが、MAN WITH A MISSIONはそのミステリアスなイメージを大切にし、狼の面の下に自身の音楽的使命を隠すことで独特な存在感を放ち続けています。
ここからは、ファンの推測や解釈が主な情報源となりますが、顔を隠す3つの理由をお伝えします!
顔を隠す理由①狼の被り物をかぶることによって注目を集めやすい
マンウィズが顔を隠す理由として大きいのが「被り物をしているバンドが他にいなく、注目を集めやすいから 」ということでしょう。
MAN WITH A MISSIONはアーティストとして、見せ方の戦略として、ジミー・ヘンドリックスが生み出したという神話のようなストーリーがあり、この設定や狼の覆面をかぶることによって、MAN WITH A MISSIONの音楽を聞いてくれるきっかけとなりました。
マーケティング的な戦略として、メディアの注目や人々の関心を引きつける必要があったのですね。
ビジネスは何でもそうですが、人に知られなければ売れるものも売れません。
確かに狙い通り、登場から間もなくそのビジュアルにも注目を集めました。
顔を隠す理由②もともと別のバンドとして活動していたから
マンウィズが顔を隠す理由の2つ目として、狼の被り物をしている理由は、もともと別のバンドとして活動していたからだと言われています。
マンウィズの前身は「Grantz」というバンドだったと言われていますが、Grantz時代は、あまりヒット曲がなかったみたいです。
GRANTZとしての活動から、さらに注目されて飛躍するためのアイディアとしてオオカミの被り物と設定を思いついたと考えられます。
現在は、狼のマスクを見ると「マンウィズだ!」となるわけなので、バンド名を変える以上の影響があります。
ビジュアルも含めて人気になったので、狼マスクを脱ぐタイミングもなくなってしまったのだと思います。
オオカミマスクを取ってしまうと、MAN WITH A MISSIONではない、ということになってしまいます。もし素顔を見られるとしたら、また別バンドとしての活動になると思います。
顔を隠す理由③狼の被り物で顔を見せないから、老いを感じさせなくて済む
マンウィズが顔を隠す理由の3つ目として狼の被り物をしている理由は、顔を見せないから老いを感じさせなくて済むから、かもしれません。
年を重ねるごとに見た目に渋さが増していくバンドもいますが、オオカミの顔ということで、ずっとヴィジュアルが変わらないからこそ「マンウィズとして楽曲を聞き続けてもらいやすい」のも事実。
10年を経てなお、若年層に新鮮味をもって受け入れられるってことがありますね!
アーティストとはいえ誰しも歳を取ります。若い世代から見れば、10年前からいる人と思われ、自分の世代ではないという一線が引かれてしまうことも。
そこに新鮮味を感じることは難しくなるので、オオカミマスクを被っている、年齢を意識することはありません。若年層にしてみれば、もともと「顔が見えない」ので、古さを感じないだけでなくリアルタイムに楽曲が生活の中に流れてくれば、今どきのアーティストと何もかわりはないですよね。
あとは、顔出ししないことで、個人のプライベートな時間が守られる、邪魔されることなく日常を過ごせるのは、当の本人たちにとって過ごしやすいのかもしれません。