ゆず「栄光の架橋」は何年のオリンピック?体操の実況で名言が誕生!

オリンピック

ゆず「栄光の架橋」は、いつのオリンピックのテーマソング?

ゆずの「栄光の架橋」は、2004年アテネオリンピックのテーマソングです。
楽曲は、ゆずの21枚目のシングルで2004年7月22日に発売。

NHK『アテネオリンピック中継』公式テーマソングだったので、NHKでの放送内でよく流れていました。

私は、「栄光の架橋」は、2004年のアテネオリンピックから20年以上経った今でも、多くの人に愛され続けている名曲だと思っています。

その理由は、北川悠仁さんと岩沢厚治さんの心のこもった歌声が、特に落ち込んだ時や辛い時に聴くと、「もうダメだ」と思う気持ちを奮い立たせてくれ前に進むための力を与えてくれるからです。

私も当時、この曲がオリンピック中継で何度も流れてくるたびに、勇気と感動をもらっていました。

Utaban
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「栄光の架橋」はオリンピックという特別な舞台をテーマにした曲でありながら、

夢や目標に向かって努力する全ての人々に当てはまるテーマを歌っていると思います。

「栄光の架橋」はオリンピックの体操の実況で名言が誕生!

「栄光の架橋」のテーマソングが流れる裏で、NHKの実況アナウンサーさんが存在します。
なんと、その実況アナウンサーから、オリンピックの体操をしている実況で名言が誕生したんです!

その名言は、2004年アテネオリンピック体操男子団体決勝で、日本が28年ぶりの金メダルを獲得した瞬間のときです。

NHKの実況アナウンサー 刈屋富士雄さんによって生み出されました。
体操の男子団体決勝で金メダルが決まる瞬間

伸身の新月面が描く放物線は、栄光の架橋だ!体操ニッポン、日はまた昇りました!

と実況したのです。


当時見ていた人みなさん、今でも記憶に深く刻まれている方も多いのではないでしょうか。
感動しましたよね?私も今でも覚えています!

この名言とゆずの「栄光の架橋」は、実は深い繋がりがあります。

体操の実況で「栄光の架橋」フレーズ・言葉は、考えていなかった

「だからそれを考えていたんじゃないか」って言われますけど、全然違うんですよ。確かに「栄光の架橋」はNHKのアテネオリンピックの応援ソングだったんですけれども、歌詞は“栄光を称える歌”ではなくて、“とんでもない挫折を味わってそこから復活していく歌”なんですよ。だから、体操の選手たちをずっと取材で追っていても、みんなやっぱりかなり苦しい目に合って、そこから復活してきてるんですよね。だから、あの歌詞と選手たちはダブるんですよ。そのダブった記憶というのが僕の中にあるんです。

https://www.tfm.co.jp/beat/archive//index.php?catid=2263&itemid=174497

「栄光の架橋」は、NHKのアテネオリンピックの公式テーマソングでした。

刈屋さんは、この実況にあたり、事前に綿密な準備を行っていました。

  • 当時の日本体操界が置かれていた状況
  • 体操競技の魅力
  • 金メダル獲得にかける選手たちの思い

などを徹底的に調べ上げ、選手たちの魂を揺さぶるような実況を目指していました。
そして迎えた決勝戦。日本チームは、見事な演技で金メダルを獲得しました。

その瞬間、刈屋さんは言葉にならないほどの感動に包まれ、そんな中、刈屋さんの頭に浮かんだのが、ゆずの「栄光の架橋」だったのです。

そして、刈屋さんは「栄光の架橋」の歌詞を思い浮かべながら、あの名言を生み出しました。

「栄光への架け橋」というオリンピックの体操の実況で生まれた名言は、
この年の流行語大賞にノミネートされているよ!
更に、ゆずの「栄光の架橋」の知名度が上昇するきっかけになったんだね。

ゆず「栄光の架橋」は何年のオリンピック?のまとめ

オリンピックの体操の実況で名言が誕生したエピソードから、「栄光の架橋」という曲が、単なる応援歌ではなく、夢や目標に向かって努力する全ての人々に勇気と感動を与える力を持っていることが分かります。

この曲は、オリンピックに限らず、スポーツ選手だけでなく、夢や目標に向かって努力する全ての人々にとって、応援歌であり、心の支えとなり続けています。

この曲を通して、私たちは夢を追いかけることの大切さと、困難を乗り越える力を改めて学ぶことができます。

これからも、多くの人に愛され続ける名曲として、人々に勇気と感動を与え続けていくことでしょう!
今年2024年のパリオリンピックも楽しみです!

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