日本を代表するロックバンド「GLAY」についてお話しします。
特に、メンバーの年齢に焦点を当てていきますよ。
GLAYと言えば、「HOWEVER」や「BELOVED」など、誰もが一度は耳にしたことがある名曲の数々。
その力強い歌声とメロディで、幅広い世代から支持を集めています。
でも、実はGLAYのメンバー、今いくつだか知っていますか?
GLAYって何歳?(2024年現在)
驚くかもしれませんが、2024年現在、GLAYのメンバー全員が50代なんです!
えっ、そんなに?と思った方も多いのではないでしょうか。
確かに、テレビで見かけるGLAYのメンバーは、まるで30代、40代のように若々しく見えますよね。
では、メンバー一人ひとりの年齢を見ていきましょう。
- TERU(ボーカル):52歳(1971年6月8日生まれ)
- TAKURO(ギター):52歳(1971年5月26日生まれ)
- HISASHI(ギター):51歳(1972年2月2日生まれ)
- JIRO(ベース):51歳(1972年10月17日生まれ)
TERUとTAKUROは同い年で、HISASHIとJIROも同い年。
年齢差が最も大きいTAKUROとJIROでも、1歳5ヶ月しか違いません。
本当に仲の良い同級生のような感じですね。
GLAYがデビューしたのが1994年ですから、もう30年以上も第一線で活躍し続けているということになります。すごいですよね!
GLAYってどんなロックバンド?
GLAYは1988年に結成された4人組のロックバンドです。簡単にご紹介しますね。
TERU(テル)
・担当:ボーカル
・GLAYの顔的存在
TAKURO(タクロウ)
・担当:ギター、キーボード、作詞作曲
・GLAYのリーダー的存在
HISASHI(ヒサシ)
・担当:ギター、作詞作曲
・クールな雰囲気の持ち主
JIRO(ジロウ)
・担当:ベース、コーラス
・「裏のリーダー」とも呼ばれる
GLAYはなぜ4人なの?
GLAYが4人組になったのは、メンバーが少しずつ増えていった結果なんです。
最初は高校生だったTAKUROとTERUが中心となって結成しました。
TERUは別のバンドで活動していましたが、TAKUROに声をかけられたことがきっかけでGLAYに加入したんです。
その後、HISASHIが加入し、1990年に3人で東京に進出しました。
そして1993年にJIROが加入し、現在の4人体制が完成したんです。
GLAYは1994年2月にシングル「RAIN」でメジャーデビューを果たしました。
この曲はX JAPANのYOSHIKIプロデュースで、15万枚のヒットを記録。以来、日本を代表するロックバンドとして活躍し続けています。
GLAYの音楽は、デビューから30年以上経った今も、常に進化し続けています。
初期のGLAYは、日本のロックバンドの影響を強く受けたサウンドが特徴でした。しかし、徐々に自分たちの色を出していき、ポップスの要素も取り入れた独自のスタイルを確立していきました。
TAKUROは「白(ポップス)でも黒(ロック)でもない音楽を作っていきたい」と語っていますが、まさにその言葉通りの音楽を作り続けているんです。
GLAYのTERUさんの年齢と経歴
TERUさんは1971年6月8日生まれの52歳(2024年現在)です。
函館市出身で、身長169cm、血液型はO型です。
TERUさんのプロフィール
・本名:小橋 輝彦(こばし てるひこ)
・生年月日:1971年6月8日
・出身地:北海道函館市
・担当:ボーカル
TERUさんの経歴
TERUさんは、GLAY結成当初はなんとドラマーだったんです!TAKUROの勧めでボーカルに転身しました。ドラム以外にもピアノやギターも演奏できる多才な人なんですよ。
GLAYの楽曲だけでなく、他のアーティストへの楽曲提供やプロデュースも行っています。ライブやコンサートのMCでは、観客を楽しませるお茶目な発言で人気があります。
プライベートでは、2002年にPUFFYの亜美さんと結婚し、2003年に娘さんが生まれています。実は、亜美さんとの結婚以前の1993年には一般女性と結婚しており、息子さんと娘さんが一人ずついます。2000年に離婚していますが、現在でも前妻のお子さんたちと良好な関係を保っているそうです。
GLAYのTAKUROさんの年齢と経歴
TAKUROさんは1971年5月26日生まれの52歳(2024年現在)です。
TERUさんとは小学校時代からの同級生で、誕生日も1ヶ月違いなんです。
TAKUROさんのプロフィール
・本名:久保 琢郎(くぼ たくろう)
・生年月日:1971年5月26日
・出身地:北海道函館市
・担当:ギター、キーボード、作詞作曲
TAKUROさんの経歴
TAKUROさんはGLAYのリーダーで、楽曲の多くを作詞作曲しています。
身長182cmと、他のメンバーと比べて頭一つ分ほど背が高いんです。
GLAYの楽曲だけでなく、プロデューサーとして数多くのアーティストに楽曲を提供しています。
「世界で1番GLAYが好きな人」とTERUに言わしめるほど、GLAYへの愛情が深いことで知られています。
プライベートでは、2004年にモデルの岩堀せりさんと結婚し、息子さんと娘さんが一人ずついます。2018年には家族でアメリカ・ロサンゼルスに移住しているんですよ。
GLAYのHISASHIさんの年齢と経歴
HISASHIさんは1972年2月2日生まれの51歳(2024年現在)です。
青森県弘前市出身で、血液型はO型です。
HISASHIさんのプロフィール
・本名:外村 尚(とのむら ひさし)
・生年月日:1972年2月2日
・出身地:青森県弘前市
・担当:ギター、作詞作曲
HISASHIさんの経歴
HISASHIさんは、TAKUROと同じ高校の出身です。
TAKUROがツインギターのパートナーを探していたことがきっかけでGLAYに加入しました。
車、バイク、ゲーム、アニメなど多趣味な一面があります。
趣味のアニメがきっかけで、蒼井エイルや声優の遠藤ゆりかなどに楽曲提供をしたこともあるんですよ。
TERUとのユニット「rally」や、TERUとEXILEのTAKAHIRO、HIROとの期間限定ユニット「ACE OF SPADES」など、GLAY以外の活動も行っています。
GLAYのJIROさんの年齢と経歴
JIROさんは1972年10月17日生まれの51歳(2024年現在)です。
GLAYのメンバーの中で唯一の年下メンバーなんです。
JIROさんのプロフィール
・本名:和山 義仁(わやま よしひと)
・生年月日:1972年10月17日
・出身地:非公開
・担当:ベース、コーラス
JIROさんの経歴
JIROさんは、TAKUROに誘われ、GLAYに最後に加入しました。
几帳面で真面目、控えめな性格と言われています。
ファンレターやアンケートに目を通し、ラジオやコラムなどで返事を書くなど、ファンを大切にする姿勢がうかがえます。
ライブのセットリストを提案、作成する役割も担っており、「裏のリーダー」「副リーダー」とも呼ばれています。
プライベートでは、2000年に編集者の女性と結婚し、息子さんと娘さんが一人ずついます。
GLAYの音楽的ルーツは?
GLAYの音楽には、様々なアーティストの影響が見られます。
特に日本のロックバンドからの影響が強いんです。
GLAYのリーダーであるTAKUROは、1980年代にはBOØWYやレベッカ、THE BLUE HEARTSなどの日本の音楽を好んで聴いていたそうです。GLAYは日本のロックを模倣することから始まったと語っています。
GLAYの音楽プロデューサーである佐久間正英さんは、GLAYを初めて聴いた時、自身がプロデュースしていたUP-BEATやBOØWYを混ぜたような印象を受けたと語っています。
でも、GLAYはただ日本のロックを真似しているだけじゃないんです。
TAKUROは「白(ポップス)でも黒(ロック)でもない音楽を作っていきたい」という目標を掲げています。これがバンド名の由来にもなっているんですよ。
実は、GLAYは日本のポップスからも影響を受けています。
例えば、代表曲の「HOWEVER」は、安室奈美恵の「CAN YOU CELEBRATE?」から学んで作られたとTAKUROは語っています。
このように、日本のロックをベースにしながら、ポップスの要素も取り入れた独自の音楽性が、GLAYの大きな魅力なんです。
GLAYのライブパフォーマンスの魅力
GLAYの魅力は、レコーディングされた音源だけでなく、ライブパフォーマンスにもあります。
GLAYのライブは、メンバーの年齢を感じさせない熱いステージで知られています。TERUの力強い歌声、TAKUROとHISASHIの絡み合うギターサウンド、JIROの重厚なベースライン。4人の息の合ったパフォーマンスは、観客を熱狂させずにはおきません。
特に、毎年行われる「GLAY EXPO」は、GLAYの集大成とも言えるライブイベントです。1999年に北海道で行われた「GLAY EXPO ’99 SURVIVAL」では、20万人を動員する大規模なイベントとなりました。
50代になった今も、GLAYのライブパフォーマンスは衰えるどころか、より深みを増しているように感じます。年齢を重ねた分、楽曲の解釈や表現力が豊かになっているんですね。
GLAYの路上ライブ伝説
GLAYと言えば、路上ライブで人気を集めたことでも有名です。
彼らが定期的に路上ライブを行っていたのは、北海道函館市の「大門横丁」という場所。
1990年に東京に進出する前、GLAYは函館で精力的に路上ライブを行っていました。
当時はまだ3人体制で、寒い函館の街角で熱い演奏を繰り広げていたんです。
この路上ライブが、GLAYの原点とも言えるでしょう。
ここで培った生演奏の力強さと、観客を魅了するパフォーマンス力が、後のGLAYの大成功につながったんですね。
今でも函館を訪れるGLAYファンは多く、「大門横丁」はGLAYの聖地として親しまれています。
2019年には、デビュー25周年を記念して函館でライブを行い、懐かしの地に凱旋しました。
GLAYの北海道愛
GLAYのメンバーの多くが北海道出身ということもあり、GLAYと北海道の関係は深いんです。
TERUとTAKUROは函館市出身で、HISASHIは青森県出身ですが北海道で育ちました。JIROの出身地は非公開ですが、GLAYの活動初期から北海道で一緒に活動していました。
GLAYは北海道への感謝の気持ちを込めて、しばしば北海道でライブを行っています。特に、1999年7月31日に行われた「GLAY EXPO ’99 SURVIVAL」は、観客動員数20万人という日本最大級の野外ライブとなり、大きな話題を呼びました。
また、GLAYは北海道の魅力を全国に発信する活動も行っています。2018年には、北海道胆振東部地震の被災地支援のためのチャリティーソング「COLORS」をリリースしました。
このように、GLAYと北海道の絆は音楽活動を通じて深く、強く結ばれているんです。
GLAYは何歳?年齢はメンバー全員50代?老けないカッコよすぎ!まとめ
いかがでしたか?
GLAYのメンバー4人、TERU、TAKURO、HISASHI、JIROの年齢や経歴について、詳しくお話ししてきました。
改めて整理すると、
・TERU:1971年6月8日生まれの52歳(2024年現在)
・TAKURO:1971年5月26日生まれの52歳(2024年現在)
・HISASHI:1972年2月2日生まれの51歳(2024年現在)
・JIRO:1972年10月17日生まれの51歳(2024年現在)
となります。デビュー当時はまだ20代前半だったメンバーが、今や50代。
でも、その歌声や演奏、そして見た目までもが、全然衰えを感じさせないんです。
GLAYの魅力は、年齢を重ねても変わらないロックスピリットと、年を重ねたからこそ生まれる深みのある歌詞や楽曲にあるのかもしれません。
また、TAKUROは海外での活動にも意欲的です。アメリカに移住してからは、現地のミュージシャンとの交流も深めているようです。今後、GLAYの音楽がさらに国際的に展開される可能性も十分にありそうです。
GLAYのメンバー全員が50代になった今、彼らの音楽はより深みを増し、魅力的になっています。年齢を重ねても変わらない情熱と、年を重ねたからこそ生まれる表現力。それがGLAYの「老けないカッコよさ」の秘訣なのかもしれません。
これからも、GLAYの音楽とパフォーマンスから目が離せませんね。彼らがこれからどんな音楽を作り、どんなステージを見せてくれるのか、楽しみでなりません。